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Linda Rising氏による「誰を信頼しますか?」

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Agile2008の3日目、8/6(水)午前中の、Linda Risingによるセッションです。セッションの冒頭、Linda Risingはとてもゆったりとしたきれいな、わかりやすい英語で話し始めました。

「このセッションではとても嫌な、聞いててつらくなるような話をします。ですから、途中で嫌になったり、気分が悪くなったりしたら、退出されてもかまいません。無理はしないでくださいね。」
「ですが、セッションの途中から、事態は好転します。最後まで聞いてもらえれば、ハッピーエンドが待っていることを約束します。」

半分ジョークのようだが、とても聴衆のことを気にかけていることがわかる言葉でした。(一方で、セッションの中身は本当につらいところがあります。それをセッションの題材に取り上げて、客観的で冷静な立場から伝えるところも、Lindaの素晴らしいところです。)

内容は、心理学や認知科学の見地から、人間の「偏見」と「ステレオタイプ」いうものがいかに深く、強力な作用を及ぼし、そして避けがたいものであることを昔の実験を中心に解説したものです(実験が昔なのは、現代社会で実施したら非難されるような内容だからだと思います)。そして後半は、偏見の影響を最小限に抑えたり、克服したりすることも可能であると述べました。

全体を通じて上げられた実験(1954年に行われ、The Robbers Cave Experimentとして知られている)は次のようなものです。

12歳の少年のグループ2つを、ボーイスカウトのキャンプ場に連れて行きますが、ただし、各グループはお互いの存在を知らされず、キャンプ場にはそれぞれ自分たちしかいないと思っています(もちろん別々のバスで行きます)。

 最初の1週間は、グループはそれぞれ個別に活動しました。池で泳いだり、隠れ家を作ったり、テントを立てたり。付き添いの大人(正体は実験を実施する研究者)が、お互いのグループが接触しないように誘導しています。それぞれのグループはたちまち、チームとして結束しました。

1週間たったころ、両グループはお互いの存在に気がつきます(そのように大人が誘導する)。この時点ではまたお互いの姿を見ていないにも関わらず、「自分たち」と「やつら」という区別をし、「やつらは自分たちのなわばりに侵入してきた」と言い始めました。最初にグループ内ががたちまち仲良くなったのと、相手のグループをすぐさま敵視しはじめたことの対極性に、研究者も驚きます。

それから両グループは引き合わされます。「大人たち」の指導で、野球や綱引きといった競争的な遊びをして、さらに大人の審判でいろいろなゲームの総合得点を記録しました。さらに1日の総合得点で、勝ったチームには賞品が出ました。すると、負けたチームが勝ったチームの旗を燃やしたり、キャンプを襲撃したりという、全面戦争に突入する寸前までいってしまいます。

Lindaはここで実験の話を離れて、人間の偏見の話に移りました。人間には本能的に、目の前のものが安全か危険か、食べられるかどうか、敵か味方か、とっさに判断する能力が備わっています。本能的、というのは、生存競争と進化の過程で人間が獲得した能力であるためです。原始時代の人間にとって、目の前に現れたのが仲間か、それとも敵の部族か見分けるのが遅かったら、生死に関わる問題なのです。しかしこの能力のせいで、人の姿を見たとたんにカテゴリー分け、つまりステレオタイプ化してしまうことにもなりました。

人は人をカテゴリー化します。敵か味方か、身内か他人か、仲間かよそ者か。判断は非常に短い時間のうちに起き、カテゴリー化はステレオタイプ化、単純化につながり、人に対する見方を「決めつけて」しまうことになります。偏見には2つの特徴があります。

  • 誰にでも偏見はある
  • 自分ではそのことに気づいていない

つまり誰でも、自分には偏見などないと、誤って信じ込んでいるのです。その結果、合理的な判断をしているつもりでいながら、自分や仲間の行動は常に正当化され、他人やよそ者は常に「悪い」という決めつけをしてしまうことになります。

ステレオタイプは、人に対する見方を単純化します。本来は複雑で豊かな個々の人格があるのに、型にはめてラベル付けをし、細かいところ、見えにくいところを無視してしまいます。Lindaはこんな例を挙げて説明しました。

「結婚している人は、相手に対して『いつも』キッチンを片付けないとか、愚痴『しか』言わないとか、決めつけるような言葉を使っていませんか。これもまた、偏見によるラベル付けのひとつです」

また、上司やマネージャーが部下の能力を評価するときにも、同じように偏見やステレオタイプ化が発生します。多くの場合、上司は部下の能力を3週間程度で「判断」し、「できるやつ」と「できないやつ」というラベル付けをするそうです。いったん偏見が完成すると、部下のすべての行動はそのフィルタを通して見ることになります。同じような失敗をしていてもも、できないやつの場合は「あいつはまた同じ失敗をしている」と感じるのに、できるやつだと「体調でも悪かったのかな」と思ってしまう。常に、自分の偏見を肯定するような認識しか持てなくなるのです。

さらに、偏見によって、自分自身の能力も発揮できなくなってしまいます。Lindaはまた別の実験を紹介しました。一般に女性は男性より数学が苦手だと信じられています(アメリカの場合)。実験では、被験者に数学のテストを受けさせます。このとき、試験前に性別の話をしなければ、男女間で成績の差はありません。しかし試験前に、数学の能力と性別の関連を意識させるようなコメントをすると、女性のほうが男性より成績が下がってしまいました。さらには、話をしなくても、解答用紙に性別を記入する欄があるだけでも、同じ傾向がみられるということです。これは、自分の性別を意識することで偏見が働き、本来持っている能力が発揮できなくなってしまうという例です。

偏見とステレオタイプ化は、人間の本能に根ざしたものであり、誰でもその影響を受けています。しかし、多くの人が協力して複雑な仕事をこなし、目標を達成するときには、障害ともなります。個人の能力を発揮するチャンスが奪われたり、判断のミスを招いたり、場合によっては偏見を持つ人自身の能力を下げてしまう場合もあります。どうしたら偏見から脱し、悪影響を軽減できるのでしょうか?

さて、最初の実験の続きを見てみましょう。

研究者は2つのグループの衝突を止めさせようとしますが、単に2つのグループを一緒に行動させるだけでは目立った成果が出ませんでした。そこで、キャンプ場の水道が出なくなり、全長1km以上あるパイプのどこが壊れたのか、全員で調べなくてはならない、という「事件」を演出しました。パイプの詰まっている部分が見つかって問題が解決すると、両グループは手を取り合って喜んだということです。キャンプ全体に関わる「事件」を共同して解決することで、対立が解消したのです。

人間は協力することができます。共通の目的があったとき、協力して立ち向かうことができるのです。猿を使ったある実験では、2匹の猿が協力するとエサが手に入るような仕掛けをしました。はじめは2匹ともエサが手に入るのですが、2匹が協力しても1匹しかエサがもらえないように仕掛けを変えてしまいます。しかしそれでも、エサがもらえないとわかっている猿も、相手に協力しました。すると相手は、協力した猿にエサを分け与えるような動きを見せたのです。

人間は協力することができます。これもまた、本能レベルで組み込まれている人間の能力なのだと、Lindaは語りました。協力するためには、相手を好きである必要もありません。相手の努力を認め、自分の努力を相手が認めることが必要なだけです。そこから、相手の能力と貢献を互いに尊重しあうという関係が生まれます。そして尊重され、信頼されることを嬉しく感じます。人間にはそんな本能が備わっているのです。

そうした人間の本能を活かし、人間の能力を発揮させる点で、アジャイルのプラクティスは優れているとLindaは指摘しています。特に、対面でのコミュニケーションが協力を促進するということです。

最後のスライドには印象的な画像が使われていました。エサを食べているボス猿と、それを周りからじっと見つめているメスや子供の猿の写真です。タイトルは「希望を持てる理由」。きっとボスがエサを分けてくれると思っているから、希望を持てる。しかし私は、それだけではないと感じました。人間は協力することができる、そこに希望があるのだと、そんなメッセージが込められていると感じたのです。

Lindaは冒頭で、今回のプレゼンテーションは自分の3番目の「ヘンな話(weird talks)」だと言いました。Agile2006では、動物行動学の見地からBonoboの協調的な行動について検討し、アジャイルの協調的な側面がいかに「自然」なものであるか語っています。またAgile2007では、人間が自分自身をだますという「能力」があり、そのことが見積もりにどう影響するかを考察しました。

今回のAgile2008の内容は、人間がいかに偏見に縛られているか、ステレオタイプ化によっていかにチームの能力が削がれるか、そしてアジャイルチームがいかにしてその悪影響を克服するかという話でした。筆者の感想ですが、このような人の心の動き、脳の働きを切り口とした知見には、どこか人間の限界に近づくようなワクワク感があります。またLindaの話を聞きたいと、強く思いました。

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