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レトロスペクティブのプライムディレクティブに対する問い

この記事の始まりは、知的で思慮深い人たちの魅力的なグループが食事会を終えて話をしているところです。話はレトロスペクティブ(振り返り)プロセスの要であるプライムディレクティブ(最初の指示)に及んでいます。もしレトロスペクティブについてご存知でなければ、Project Retrospectives(source)についてのNorm Kerth氏の本やAgile Retrospectives(source)についてのEsther Derby氏とDiana Larsen氏の本をおすすめします。他の同じようなプロセスはプロジェクト後のレビューであったり事後分析(この言葉はなぜか好きでありません)であったりと、あることをしていた期間に何が起きたかをチームが考察するものです。Norm Kerth氏の本に概説されている方法をおこなってきた人たちに実践されているプライムディレクティブは、この学習の効果を高める事前必要条件であり、レトロスペクティブの核心です。レトロスペクティブを新しく知る人やプライムディレクティブを受け入れがたい人たちは、以下の話でされるているような質問をよくします。この質問に対して関係する人たちが発した言葉は私たち全員が学ぶ良いきっかけとなります。

* * *

最初に話を切り出したのはPhillippeでした。ありがとう、Phillippe!

Philippe:

プライムディレクティブ(source)ではこう言っていますね。

何かが分かったとしても、その時の各人のスキルや能力、利用できたリソース、そして目の前にある状況の中で、みんなが最善を尽くしたことを理解し心の底から信じること。
本気でしょうか?私は開発者として、またコンサルタントとしてのキャリアの中で、破壊的で不愉快でまったくもって有害な人たちと会ってきましたよ。ほとんどの場合、その人たちとは馬が合いませんでしたね。その人たちとは距離を置いて仕事するか、そもそも一緒に仕事はしないべきでしょう。

”心の底から信じる”と言うのが、私に受け入れがたいんです。私はある人を解雇したことがありますが(私のキャリアで解雇した唯一の人でした)、それは能力がなかった、より正確には、能力はあったもののプロジェクトに全く貢献しなかったからです。なので私は信じません。私は事実を見ます。プライムディレクティブは人間の本性の観点から言って、とても甘い考えだと感じます。私も最初はみんなを信頼しきるとこから始めますが、向こうにはそれに値することを証明してもらわないといけません。

Linda:

私がプライムディレクティブの目的を本当に理解するにはしばらく時間がかかりましたし、レトロスペクティブの多くの"要素"について私も同じような葛藤がありました。レトロスペクティブの目的は学ぶことにあります。レトロスペクティブは業績査定ではありません。人々がそうあるべきことなのですが。しかし”目的”を明文化するだけでは不十分です。目的を達成するためにはプライムディレクティブや他の”要素”のようなことを積極的に行う必要があります。

プライムディレクティブは現実についてのものではありません。信じることについてなのです。レトロスペクティブという目的のための考えをしっかり持つことであり、少しのあいだ他のことへ目を向けるようにすることで学習を最大限に行うためなのです。それは”なりきってみよう”という”ゲーム”であって、職場やそこにいる人々についての事実ではありません。

私が参加者にプライムディレクティブへの”同意署名”をお願いした時にも、みんなあなたのように考えていたことを知っていましたし、それはそれでいいのです。みな少しのあいだ受け入れていたふりをしてやっていただけですが、あなたが今考えているような判断を脇に置くだけでもチームが学ぶのには十分なのです。

進みたいと思う方向へ向かうように脳を”だます”こと、これを時々することの良さを理解するのはなかなかの驚きですよ。私たちの脳は常にこのような”だまし”の影響を受けているのですね。

レトロスペクティブの後で私のとこへ来て、あなたとほとんど同じことを言いに来る人は大勢いました。しかしそう言った後でこう付け加えるのです。「こうしてプライムディレクティブに参加してレトロスペクティブを経験したわけですが、多分プライムディレクティブは正しいのだろうと思えます。」このことについて私から特に言うつもりはありませんが、ただ私がそれに同意していることをお伝えします。

Eugene:

ある程度経験をしてきた者として、私もそのような人たちを知っています。たとえ優れた考えや優れた能力を持っていたとしても、チームワークを時として妨げてしまう人たちです。そのような人たちの周りで、あるいは一緒に、仕事をするのがフラストレーションになるというPhillippeには賛同します。それに私にとってはそのような人たちとは働かない方がずっといいです。しかし問題なのは、向こうは妨害をしているとは全く思ってないことなんです。悪しき管理下に置かれているプロジェクトを救おうと全力を尽くしているんです。この観点からすればプライムディレクティブは確かに正しいと言えます。プライムディレクティブではスキルについても言及していますが、チームスキルは技術スキルと同じくらい重要です。

こういった人たちというのは大抵、熟練して断固とした考えを持ったスペシャリストであるか、裏のリーダであるか、あるいはその両方だったりするので、マネージャとしての義務は、まず"内部抵抗"を少なくするような方法でチームを組み、そしてその人のレベルや人柄、その人との関係に応じた方法で自分たちの方法を"売る"ことです。これはチームを結束させる方法です。全員がリーダの周りに集まることを期待したり望んだりしてはいけない、というのが私の意見です。完璧なチームメンバを揃えることは不可能です。私たちは結束したチームを作り形成するために”人という素材”をどう扱うかを学ばないといけません。これは熟練のリーダにとっても簡単なことではありません。時には結束を実現でき、時にはできず、チーム精神や結果には違いが出るでしょう。これは一番難しいことですが、マネージャの”対内側”のタスクで一番重要なものだと思います。

このことを考えるならば、プライムディレクティブが用意されたレトロスペクティブに取り組むのは極めて重要だと思います。プライムディレクティブは良いレトロスペクティブとなる可能性を伴った雰囲気を作る唯一の方法で、チームに結束力を加える新たな機会を与えてくれます。

Phillippe に同意できないかったのは、「私も最初はみんなを信頼しきるとこから始めますが、向こうにはそれに値することを証明してもらわないといけません」というところです。これは両立しないと思います。各人に最初10ポイントを与えて、もし成し遂げられなかったらポイントを減らす("成し遂げる”の定義はご自由にしてください)のか、あるいは最初0ポイントで始めて自分の価値を証明してもらうかのどちらかでしょう。そのどちらのやり方も実施されているのを見たことがありますが、私は前者の方がいいと強く信じています。加えて言えば、後者のやり方はマクドナルドでなら適切かもしれませんが(実際はどうなのかは働いたことがないので知りませんが)、ITでは無理です。Phillippeが言ったことを私が言い換えれば、信頼しきれるかは適宜評価しないといけないということですが、これなら完全に同意します。

Philippe:

プライムディレクティブの目的は分かります。私がどうかと思うのは”心の底から信じる”という部分なのです。今みなさんが言っていたのは”健全で生産性のあるレトロスペクティブを得るために、私たちはみなが最善を尽くしたということを仮定する、あるいはそういう振りをする(Lindaの言葉でいえば)”ということですよね。

もしLindaが仕事をさぼっていたり、ウィスラーでスキーをしているとこを見られたのに病気になったと言ったり、同僚と対立的だったり、大したことでもないのに遅れていたり、自分が遅れたことを他人のせいにしたりする、そのことを私が知っていたとしたら、みなさんも私に心の底から彼女がベストを尽くしたと信じるというレトロスペクティブをさせようとは思わないですよね?みなさんが言っていたのは、Lindaができるかぎりのことをしたと見なすことであり、レトロスペクティブの間なぜ彼女がベストを尽くさなかったのか、それでいいのかというのを不問にすることです。

私ならプライムディレクティブをこう書き直します。「何かが分かったとしても、その時の各人のスキルや能力、利用できたリソース、そして目の前にある状況の中で、みんなが最善を尽くしたと仮定すること。」

しかし、なぜレトロスペクティブの成果でLindaの仕事ぶりを良くしようとしないんですか。3時間の間にメタファや華やかな言葉を使って、誰の目にも明らかな現実的問題(今のLindaに問題はなさそうですが)を良くしようとしないのはなぜなんでしょう。

Linda:

仕事ぶりの評価をするのがレトロスペクティブの目的なのではありません。確かに組織は業績評価をする必要がありますが、それとは関係なく、レトロスペクティブによって表れることの中には業績評価をしないといけない人に役立つことがあるように思います。

しかし、

チームの仲間がお互いのせいにしあったり、あるいはチーム外の人たちのせいにし始めると、前に進むのは難しくなるのです。多くの場合、なぜ業績が低迷しているかの理由を言葉にするのは困難です。評価をレトロスペクティブでしようとすれば、参加者は意識的にあるいは無意識のうちに自分を守ろうとし、本当のことを言わないか、あるいは都合が悪くなることを隠そうとするでしょう。

チームにとって大変な時期を経験していると、学ぶことに集中することは難しくなります。かつて私は誤りを絶えず見つけることは”エンジニアリング精神”だと思っていましたが、今はそれが人としてのの質に関わることなのだと習っているとこです。物事はあっという間に悪くなります。特にプロジェクトが”失敗”した時はそうです。そしてそのような状況で学習することはかなりの労力がいります。これは自分自身の意思で行うことなのだと思います。

どの言語であっても言葉というのは重要です。物事は私たちが思うほどいつもはっきりしているわけではありません。”今の・・・で最善を尽くしなさい”という言葉は、期待してたほどその人が成果を上げなかったからそう言ってもいいだろう、と考えられているからだと思います。もちろん、清い心で判断した上でベストを尽くしていた人を解雇するのもありえることです。

最終的に、プライムディレクティブやレトロスペクティブの他の要素をみなさんの思うように書き直すのはみなさんの自由だと思います。:-)

ほとんどの場合、人が葛藤しているのは打ち明けたことのない問題についてです。人生はそう長くありません。他の人からうまく出来なかったわねと言われないですむ期間だって長くはなく、むしろ何回か言われることがあるでしょう。これまで長く生きてきた私なんてまさにそうです。しかし、うまく出来なかったと他人が言ったからといって、その人が最善を尽くさなかったというわけではありません。できるかぎり最善を尽くしたかどうかというのを判断するのはおそらく不可能です。業績査定を行う方がずっと簡単です。自分がそれを行う立場にないのは私にとってうれしいことですけど。:-)

Lindaが続ける:

レトロスペクティブの進行役を何回も勤めたということだけでも私が言えるのは、このような出来事は稀なことではあるものの、レトロスペクティブは変化のきっかけとなりえるということです。私は個人的な変化やチームの変化を目にしてきました。時にはレトロスペクティブを始めたばかりに起きたり、予期しない起き方もしました。この変化はプライムディレクティブに同意して参加しない限り、またそのプロセスの他の要素を活用しない限り起きえません。物事が好転したレトロスペクティブをいくつも覚えていますが、そういった思い出を捨ててまで自分が他人を”分かっている”という考えを持ちたいとは思いません。

プライムディレクティブがないと変化は起きません。変化しないというのは簡単なことです。同じゴム印で押したような言葉を自分たちの会話で使えばいいのですから。これは私自身にもよくあることです。

Owen:

Linda が言ったことのポイントをいくつか繰り返してみます。プライムディレクティブは私たちが不信を中断するようにとても良く考えられた要求事項です。 Lindaが言ったように2時間あるいはレトロスペクティブの間”その気になってみる”ことは、部屋にいる全員がそれぞれの最高の努力と最高の能力を集めたやり方と最高の意思をもって行動したということをオープンに受け入れることです。もちろん、これは甘い考えですが、これを精神的な変化だと考えてみましょう。部屋にいる人たちへの疑念や判断を取り去り、頭にあることを覆えし、別の人でも自分たちのように振舞うにはどうすればいいか、そして自分たちもまだ最高の努力をしていることを見つけ出そうとするのです。これはとてもチャレンジングなことです。なぜなら私たちは心の奥底で反対のことを信じているのですから。

Phillippe が言った働くべき時にスキーをしていたのを見かけたというケースについて言えば、ただずる休みをしていたのだと思うのでなく、彼女がスキーに行っていても彼女は仕事に対してできるかぎりの貢献をしていてくれたのだと思うのです。このことは彼女の動機について積極的な見方をしようとさせてくれます。彼女は大切なクライアントとスキーをしに行っていたのかもしれません。スキー愛好者だった彼女の弟が癌で亡くなって、その悲しみに折り合いを付けようとスキーに行っていたのかもしれません。

結局のところ、他の人の動機というのは知りようがないのです。少なくとも直接本人に確かめてみるまでは。プライムディレクティブの中には、自分の観測というのは主観的で偏見に影響されているものだと認識することが含まれています。その認識により、悪い習慣を捨てるようかき立てるのです。少なくともレトロスペクティブの間にいる短い間はそうしようとなります。そしてもしそうしたならば、私たちは何かを学べるかもしれません。

Eugene

その通り!Yourdon氏が2,30年前に出した構造化設計についての本を覚えていますか?その本には真昼間にオフィスを出て行く男の話が出てくるんですが、彼は塗料の缶を抱えて帰ってきて、誰にも何も言わずにオフィスのドアを緑色に塗ってしまうんです。そして後はまた帰ってしまう。どうやら彼はバグを直そうと36時間オフィスにいたらしいです(結局うまくいきませんでしたが)。

Owen:

私も理解するのにしばらくかかりました。Normの本を読んだ感想は、それがレトロスペクティブの初めの段階でしか読まないもの、つまり決まり文句のようなものでしかないということでした。そこに書いてあったことを2回試してみましたが、何も起こらなかったので、止めてしまいました。レトロスペクティブについてのyahoo groupでの議論が私にとって理解の鍵となるものでした。今私はレトロスペクティブにプライムディレクティブを入れようとしているとこですが、そのためには読み上げる以上のことが必要です。いつもの状況に戻る前に、プライムディレクティブが何を意味するのかを参加者と話し合うのが必ず必要なのです。もしレトロスペクティブを繰り返しするのなら、このことはそのスタートの素晴らしいトピックになります。レトロスペクティブのメタ・レトロスペクティブですね。

Michael:

私は最近ある企業に入ったのですが、そこであるプロジェクトに対してレトロスペクティブを主催してくれないかと頼まれました。しかし贔屓目に見ても大成功したとは言えません。そのレトロスペクティブは3回の実施日を予定していたのですが、それはプロジェクトの遅れによりキャンセルされ、結局はこれ以上プロジェクトを遅らせることは出来ないというだけで中止になってしまいました。ご想像のとおり、このことで事業組織と開発組織との信頼関係は大きく損われました。次回のレトロスペクティブでの私が目指すのは、何がよくなったかを知るだけでなく、関係と信頼を再構築することも含まれます。そのためには、プライムディレクティブが唯一の方法なのです。

Diana:

私にとって理解しがたいプライムディレクティブに関することのほとんどは、他人を評価する人がいることでなく、このように言う人がいることなんです。

私は怠けたり落ち込んだりぐずぐずしたりということがあるので、自分が最善を尽くしてない時があるのを知っています。だから他の人も同じような下らない理由で最善を尽くさないこともあるだろうと思うのです。自分が最善を尽くしていない時は自分のせいにされても構わないと考えているので、他の人がそうしている時にその人が責められるのも認められるべきでしょう。皆が得をして学ぶことができるようにするには、そうした事例を探り出しオープンにすることです。そうしないと問題解決のデータを得ることはできません。そして辱めることは将来の抑制力につながるかもしれません。

Mary:

TQM (Total Quality Management)を行う中で、DemingとJuran(TQMの概念の確立者たち)は労働者のミスの80%から85%はシステムの問題によるもので、個人の問題ではないことに気づきました。私もこれまでの経験から大方正しいと思います。これはその人が疲れたりだらしなくないということではありません。実際にそうなのです。しかし、労働者が疲れたりだらしなくなれないようなシステムは良いシステムではありません。例えば、PCの組み立てで線を挿し込む時、線は向きがあるので上下逆にしたり線の反対側を挿そうとしてもできません。PCの初期の頃はIDEケーブルは挿し込みが間違いやすかったものです。そして私もよく間違えましたが、私は自分が悪いのではなく、向きがどちらでも挿せてしまうコネクタが悪いのだと言ってましたよ。

同じようにソフトウェアの欠陥のほとんどはコーディングのミスではなく、システムのミスだと考えています。例えば、万全のテストをしないシステムで、そのせいですぐに見つけられるような欠陥も見逃してしまうのです。工場の労働者がそうであるように、開発者も疲れたりだらしなくなります。システムはこういうことが起こることを想定し、それを補うようにメカニズムを整備しないといけないのです。全ての開発者が100%いつでも100%必ず用心深くあることを期待してはいけません。それは不合理な期待というものです。私たちは人々が人々らしくあることが出来るようにシステムを設計しないといけないのです。

これに関する事では、チームが真に良い仕事を行おうというモチベーションに欠けることがあるという調査結果があります。私の経験では、そのようなケースのおよそ80%から85%は、システムによるフラストレーションのせいか、適切なツール/技能がないせいか、本当に何をしたらいいかを知るよう顧客とコンタクトする方法がないせいか、または測定や経営にがかける期待のせいで物事を正しい方法で行えない(これは低効率のよくある原因です)かのいずれかです。全力を尽くせない人がいた時に私がよくするのは、モチベーションを下げる管理システムがないか、適切な技能が欠けてないか、局所的にしか最適化されてない測定や期待がされてないか、その他人々が全力を尽くせないくしている障害がないかを見つけることです。 

私は全ての人がベストを尽くすとは考えていませんが、もしその人たちがベストを尽くせないでいるなら、その根本的な原因は、個人に責任があることよりもシステムや管理面の問題であることの可能性の方が遥かに高いと考えています。もちろんこれがいつも正しいわけではありません。世の中には悪人もいますし、原因がどうであれ低効率はどうにかしないといけない問題です。しかし問題が組織的なものの場合、個人の業績を改善しようとしてもあまりうまくいきません。ですので、個人を責めるのでなく、組織の根本的問題を見つけるために深く掘り下げることが問題解決の出発点となります。

Esther:

すんなりとプライムディレクティブを受け入れてもらう方法がひとつあります。まずこういう風に言います。「私は個人的な価値のためにこの場に立とうとしています。必ずしも簡単なことでないかもしれないけど、ときには頭を手で打ってでも覚えたいと思えるような何かを見つけられるかもしれません。でも、みなさんには私の価値のために合わせてほしいとは言っているのではありません。純粋に実利的な観点から言って、みなさんが誰かを無能だと思ってない限りその人を感化するのはずっと簡単ですし、逆にあなたがそう思った人からは事実上何も学べないのです。」それからこの場にいることができるか、永遠にではなくそのレトロスペクティブの間だけいることができるかを尋ねるのです。

Linda:

大きなグループでも同じです。私は手を上げるか小さな円を歩くか、何かしらの方法によってこれから部屋を周ってそれぞれの人を見ていくことを示します。これはそれほど時間を取りません。これは関わりを持ってもらう術の一つにすぎないのです。この時にアイコンタクトしたり、”はい”や何かの言葉を発してもらうことで、より強い関わり合いを持てるようになります。普通私は"指摘”をすることはありません。グループの中には修行中のレトロスペクティブ進行役がいつもいてくれて :-)、その人が指摘をしてくれるのです。その人はグループにいる親しい人たちを知っているので、ある人やグループ全体に対してその場にあった指摘をすることができます。

Norm:

プライムディレクティブは私のレトロスペクティブキャリアの後の方で作られました。プライムディレクティブを記さないといけないと分かったのは。私がレトロスペクティブをどうのように導入すればか教えるのを始めた時でした。しかしプライムディレクティブに表されるコンセプトは、最初のレトロスペクティブであり私がまだ参加して続けているレトロスペクティブでも不可欠の要素でした。それは今に至るまで私の中に深く根付いています。

10 代の時、私はヨットのレースに参加していました。ある悪天候の下でのレースで私の友人のヨットが転覆して溺死しました。私が大変尊敬していたトップのヨット乗りたちは、レースの全ての面について、全員の行動について、全ての決定について物怖じせずにレビューを行いましたが、それはヨットコミュニティ全体がどうすれば新たな犠牲を生まないですむかを知るのに役立つからという理由で行われたのです。ヨット乗りの集団にこのような悲痛な話を恐れずに再び語ることで、リーダたちは誰かの行動を裁くために自分たちがいるのではないということをはっきりと示していました。そこにはスケープゴートにされる人はいなく、過ちを犯したとされる人もいませんでした。罪悪感は私たちの儀式に必要なものではなく、全員の気分を悪くするために罰を加えることはありませんでした。

これは学習するためにコミュニティ全体で再び話を語ることの良い例でした。このことから30年以上が経ちましたが、そこで私が学んだことはボートに乗船する時いつも思い出されます。

私はコースを行っていく中で、「間違いを見つけないこと、判断しないこと」などは言うことではないと気づきました。なぜならこれを言ってしまうと、その考えに集中してしまうからです。そうではなく、これらのことを補うメッセージが何かを知る必要があるのです。最初考えたメッセージをこうでした。「全員が最善を尽くしたと仮定すること。」しかし”仮定する”という言葉では弱すぎると感じ、これを「全員が最善を尽くしたことを理解し心の底から信じること」と変えたのです。

進行役としての私たちにとって一番重要なのは、プライムディレクティブの裏にある考え方を理解することだと思います。これが基礎となって、私たちは自分の創造力を必要に応じてグループの理解に振り分けることができるのです。Estherが丁寧にしたプライムディレクティブの改良は、私たちが何者であるかというストーリの一部、また私たちの文化の一部にする必要があると思います。

Ainsley:

自分にプライムディレクティブを当てはめることを思い出しましょうよ!個人的に開いているレトロスペクティブのワークショップでは、今自分や自分の経験したことを他の人そして自分自身に語ることで、どれほど自分の将来が変わるかについて話し合っています。そこで私はプライムディレクティブを自己査定を行う上での一つの例として用いています。大抵は素晴らしい議論がそれに続き、そして多くの人たちが自分よりも他の人に対して寛大な理解をすることができる、それが最終的に仕事の上でも大きな影響を与えると言います。

Linda:

素晴らしいみなさんと素晴らしいお話をすることができました。ところでyahoo groupでこんなニュースを見つけました。投稿者にお礼を言います。

あるテレビのインタビュアがスペースシャトル・チャレンジャ号の爆発についてRichard Feynman(アメリカのノーベル賞物理学者でチャレンジャの調査委員の一人)と議論をしていました。

インタビュア: あなたのような人が参加したのにもかかわらず、ロジャース調査委員長がこう言ったそうです。「私たちは誰かに責任を取らせようとしているのではありません。」

なぜでしょう?なぜ誰かが責任を負わないのでしょう?

Feynman博士: 私にはどうやって責任の所在を明らかにできるのか分かりませんし、それがいい事なのかも分かりません。問題はどうやって私たちが教育をするかということで・・・

The MacNeil/Lehrer NewsHour(アメリカPBSのニュース番組)1986年6月9日


謝辞

ここで名前を挙げるのを希望した人たち、また様々な形で追加の議論を行ってくれた次の人たちに感謝します: Steve Adolph, Paul Culling, Esther Derby, Geoff Hewson, Norm Kerth, Philippe Kruchten, Diana Larsen, Jaswinder Madhur, Ainsley Nies, Eugene Nizker, Mary Poppendieck, Owen Rogers, and Michael Vax.

筆者について

Linda Rising氏(source)はアリゾナ州立大学においてオブジェクトベースの設計評価指標の分野の博士課程を修了し、大学での教鞭や、電気通信、航空電子工学、戦略兵器システムの業界で職務をおこなってきた。パターン、レトロスペクティブ、アジャイル開発方法、プロセス改変に関するトピックのプレゼンタとして国際的に知られる。著書に"Fearless Change: Patterns for Introducing New Ideas"(恐れを知らない変化:新しい考えを導入するためのパターン、Mary Lynn Manns共著)(source) 、編者として"Design Patterns in Communications Software"(source)、"The Pattern Almanac 2000"(source)、"The Patterns Handbook"(source)に関わっている。



関連するInfoQ記事: Linda Rising on Collaboration, Bonobos and the Brain(関連記事・英語)

 レベルの高い期待と基準は、聡明な人たちが自己保持をし、厳しく振る舞いを検討する意欲を保つために設けられているところがあるように思います。しかしそれは自分と他人に対する思いやりを阻むことになります。個人的に辱めが何かの抑制力になるとは思いません。不名誉がモチベーションにつながるとは考えられません。

原文はこちらです:http://www.infoq.com/articles/retrospective-prime-directive
(このArticleは2008年2月14日に原文が掲載されました)

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