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自己組織化を導くことは、オーケストラを指揮するようなものか?

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原文(投稿日:2009/10/29)へのリンク

伝統的なマネジメントモデルは、自己組織化を妨げることなくアジャイルチームをサポートするにはどうしたら良いのかということについて、リーダに教えてはくれない。音楽の演奏と「オーケストラの指揮」に喩えられることも多いが、それが適切であると誰もが合意している訳ではない。元指揮者のItay Talgam氏はTEDトークにおいて数タイプの指揮者のビデオを示し、そのスタイルが「チーム」に対して何をしているのかについて語った。なお、考察にあたってはチーム自体のスタイルも考慮にいれなければならないだろう。

偉大な指揮者のようにリードしなさい」と題された20分間の講演において、Talgam氏は自身の経験から次のように語っている。混沌の前に立ち、そこから秩序を生み出す能力は素晴しいものに感じられるのであり、指揮者にとって「これが全て私の手柄だ」と考えたくなる誘惑は捨てがたい。しかし実際には、1人の人間が行うわずかな仕草では、オーケストから素晴しい音楽を引き出すには全く足りないのである。素晴しい音楽は、そのストーリーすなわちスキルを提供してくれる全ての人による作品なのだ。指揮者たちはこれらのスキルをそれぞれ異なる仕方で統一していく。そして実は指揮者は、この過程を助けることもあれば妨げることもあるのだ。

Talgam氏は5人の著名な指揮者のスタイルについての映像を見せ、それについて議論をした。概要はここに示したが、氏が見せてくれた映像内のボディーランゲージは間違いなく一見の価値がある。1人の人間が言葉を使わずに、集団に対して驚くべき影響を与えているのだ。

  • Riccardo Muti ・彼が個人として作曲家に対して感じている責任は、音楽についての自分の解釈を完全に提供するというものだ。Mutiが指揮をする時の身体的なスタイルは、明らかに彼がオーケストラによる解釈を支配していることを反映している。(長年仕事をした後で、Mutiはスカラ座のオーケストラとスタッフ全員から退任するよう頼まれている。)
  • Richard Strauss ・Straussが指揮者のための「本を書いた」と考える人もいるが、彼ははるかに穏やかな指揮者だ。彼がはっきりと主張しているのは、演奏後に汗をかいている指揮者は「何か間違ったことをしている」ということだ。しかし、彼も別の仕方でオーケストラを支配している。つまり、楽譜に対して厳格に固執しているのだ。彼のオーケストラは「本に従って」仕事をしている。
  • Herbert von Karajan ・一方で、Karajanはしばしば目を閉じて指揮をする。Talgam氏によれば、これはオーケストラがKarajanの心を読まなければならないかのようであり、仕草もあいまいで感情的であって、なんら明確なガイダンスも提示されていない。Karajanのオーケストラは音楽を通じてそれぞれのやり方を見つけ出さねばならず、それがうまく行った時にはKarajanが正しいやり方だと信じているものに合っているだろうということだ。「いつ始めたら良いでしょう?」と、ある演奏者に聞かれてKarajanは答えた。「我慢できなくなったら始めなさい。」
  • Carlos Kleiber ・エネルギッシュな指揮者であり、演奏者や聴衆をパートナとする。それにあたっては音楽が生み出される環境を整え、演奏者や聴衆にKleiberと一緒になって音楽を再生産することを許すのだ。この過程は明らかに骨の折れるものだが、音楽家に取っては得るものがきわめて大きいものでもある。
  • Leonard Berstein ・Bersteinは時折、指揮棒を手放し、立って音楽を楽しんでいるだけである。Bersteinもまたチームメンバを密接に巻き込む過程を通じてオーケストラの音楽を生み出している。また、優れたコーチがそうであるように、Bersteinの仕事がきわめてうまく行った時、オーケストラは指揮者がいなくても美しい音楽を奏で、なにかユニークなものを作り出すのだ。「偉大な芸術作品はどれも時間と空間とを蘇らせ、そこに再適応させます。その成功は、あなたがたをどこまでその世界の住人にすることができたかということで測れます。つまり、あなたがたを導き入れ、その不思議で特別な空気を呼吸させることが、どこまでできたかということです。」

ある人が「指揮」としてのアジャイルリーダーシップという考え方を支持する一方で、オーケストラ指揮者のモデルは自己組織化するチームモデルにおいては役に立たないとする人もいる。しかし、どの指揮者のモデルを参照しているかを見れば、その理由を理解するのは容易である。

どのチームもそれぞれ異なっているということは事実であり、おそらく同じようにリードするべきではないだろう。HersheyとBlanchardの「条件に応じたリーダーシップ("Situational Leadership")」モデルは、最近ミュンヘンで開かれたScrumGatheringにおいて何度か参照された。Joseph Railin氏は「Creating Leaderful Organizations」において、このモデルのことを「従者モデル("Followership Model")」と呼んでいる。チームメンバの成長を手助けをすることがリーダーシップとなるためのキーは、リーダーシップのスタイルを、チームがそこに従う準備ができている程度に合わせることにあるからだ。

HersheyとBlanchardは「従う準備」についての4つの異なる状態を区別している。なお、"able"が示しているのは、知的(トレーニング)、感情的(個人の成熟度)の両面でタスクを実行する能力である。

HersheyBlanchardSituational1

チームは「能力があり、協力的である状態("Able, Willing")」へと到達できるように成長していくのが理想的である。しかし、Tuckmanの「チームビルディングモデル("-orming model")」が示すことによれば、ある出来事なり状況なりによって、チームは以前の状態へと後退してしまうのだ(例えば、新しいチームメンバや経済的な不安定などによって)。蛇足だが、定義によっては、あるグループが少なくともそれに対して「協力的になる("willing")」までは、チームと考えることができないとされる。

従者の4つの指向それぞれに対して、HersheyとBlanchardはそれぞれ別のスタイルのリーダーシップが有効であるとしている。つまり、あるチームに対して驚くほどの効果をもたらすものが、他のチーム、あるいは全てのメンバに対しては役に立たないのだ。したがって、アジャイルリーダにはいくつかのアプローチからなるツールキットが必要なのかもしれない。

HersheyBlanchardSituational2

 

このモデルにおいて、それぞれの軸はリーダーの態度を表している。「関係指向("Relationship Oriented")」はリーダとメンバとの関係がどの程度強調される必要があるかを示しており、「タスク指向("Task Oriented")」はメンバに実際のタスクを実行する準備をさせる上で、リーダが必要とする努力を指している。

これらのリーダーシップのスタイルについて、他の名前が使われることもある。

指示("Telling") 指導("Directing")
説得("Selling") 指南("Coaching")
参与("Participating") 参加("Joining")、支援("Supporting")
委譲("Delegating") 信頼("Trusting")

「準備("readiness")」状態がどう見えるもので、それぞれのスタイルがどう適合しあるいは適合しないのかということについての、明確で簡潔な議論は上海市科学技術委員会のウェブサイトで見ることができる。1972年に遡るこのモデルは、多くのマネジメントやリーダシップについての書籍で言及されているものでもある。

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