BT

最新技術を追い求めるデベロッパのための情報コミュニティ

寄稿

Topics

地域を選ぶ

InfoQ ホームページ ニュース Pragmatic Daveに質問: アジャイルよりも敏捷性

Pragmatic Daveに質問: アジャイルよりも敏捷性

ブックマーク

原文(投稿日:2014/10/17)へのリンク

今月前半、アジャイル宣言の共著者であるDave ThomasMartin Fowlerの2人が GOTOデンマークの一連の会議でパネルディスカッションに参加した。パネルは“アジャイル宣言のやり直し”を中心としていた。これはDaveの最近のブログ記事、『アジャイルは死んだ (敏捷性万歳)』から着想を得たものである。この記事は3月に公開されて以来、興味深いディベートやディスカッションを生み出してきた。

本 Q&A は、Pragmatic Daveとして広く知られているDaveが自身の考えを説明するものである。テーマは、当パネルディスカッション、彼のブログ記事、そして、アジャイルについてあまり重点を置かず、敏捷性の実際的な適用に重点を置くべき時だと彼が信じるようになった理由についてである。

InfoQ: ごく最近までアジャイル関連のイベントに参加してこなかったのはなぜでしょうか?

それは元祖Snowbirdの会議までさかのぼる。あそこに行ったのは、この業界の指導者たち全員と同じ部屋にいたいと思ったからだ。最後には、私たち全員がソフトウェア開発についてほぼ同じ見方を持っていることがわかり、それを形にしたのが(ちょっと偉そうに聞こえるが)私たちがアジャイル宣言と名づけたものだ。

この宣言は個人的な価値 ―― 私たち、Snowbirdの17名の価値 ―― の集まりを文書化したものだ。私たちは何か答えを持っていたわけではない。普遍的な答えを作り出すのは不可能だ ―― 絶対性を求める試みには常にコンテキストが干渉してくる。

私の考えとしては、あれはそういうものだった。私たちは自分たちの考え方を公開し、その後は日々の仕事においてそれらの価値を実践することに戻っていった。

時がたち、敏捷性の概念にもっと構造を生み出したいと思った人々があらわれ、アジャイルアライアンスなどが生み出された。私はその人たちとは違っていた ―― なぜアライアンスとかその他の団体が必要なのかわからなかった。そういうのに喜んで参加する性質ではないというだけかもしれない。

外部から見ていると、いくつものカンファレンスが始まっては終了したが、考えを変えてそれらに出席し始める必要はなさそうだった。全体的に言えば、話されていることは2つの典型例に分類されていた。ひとつは「この手法は私たちには効果的(効果なし)だったので、皆さんもお試しください(試す必要はありません)」というもの。もうひとつは「人々/個人の成長に耳を傾けよう」というエモいものだった。

前者の類の話は(私が思うに)危険だ。人々はカンファレンスに行き、話を聞き、聞いたことすべてを帰ってから実践し始める。その結果生まれるのは相互に結びつかないごちゃまぜのプロセスであり、そんなものは次第に見捨てられてしまうのだ。

後者の類の話は偽物の中華ディナーにちょっと似ている ―― その時はすごく良いのだが、帰宅したころには跡形も残らず蒸発してしまう。

よって、そのコミュニティは自身の道を進んでいったし、私は私で何とかやっていっただけのことだ。私がやったことはほとんどすべてがアジャイル宣言の価値に基づくものだった(なぜなら私の個人的な価値観はその間においても大して変わらなかったからだ)が、私には方法論があるとは決して言いたくはない。

1年かそこら前に、インドのとあるアジャイルカンファレンスから招待を受けて、参加を承諾したことがある。ひとつには、主催者のNaresh Jainがインドのソフトウェアコミュニティにおいて素晴らしいことをやり続けているので彼を支援したかったからだ。他には、インドにはまだ行ったことがなかったからだ。私は信念を曲げた。

そのカンファレンスで、2人のコンサルタントが会話しているのが聞こえてきた。彼らは他の人たちにコードの書き方を指南する人たちだ。一方のコンサルタントは、十年間もの間コードを書いていないことを認めた。もう一方は笑って、自分は90年代後半からずっとコードを書いていないと言った。

同じカンファレンスで私はSAFe (the Scaled Agile Framework) の話を座って聞いていたが、私は悲しくなってしまった。「アジャイル」という単語の価値が下がり、使われ方が私たちの当初の価値から大きく逸れてしまっている。

だからこそ私は今回のようなインタビューに答えているのだ。

InfoQ: あなたの最近のブログ記事が大きな関心や論議を生んだのはなぜだとお考えですか?その論議の結果が今月前半のデンマークでのパネルディスカッションのようなことに繋がったわけですけれども。

いくつかの理由があると思う。最初に言っておくと、私は明らかに煽っていた。ブログのタイトル『アジャイルは死んだ』ですら、twitter民を釣る皮肉な攻撃と思われたかもしれない。

だが、もともと燃料がなければ、こんな風に炎上することはない。敏捷性が商業化して薄まってしまっていることに気づいていたのは明らかに私一人ではなかったし、80年代と90年代のころの開発プロセスの混乱状態に逆戻りしてしまう危機に陥っていると感じていたのも私一人ではなかった。だから、すでに広まってきている見方についてはっきり言ったのが私だったというだけのことではないかと思っている。

InfoQ: コペンハーゲンとオルフスで、あなたは「アジャイル」という単語に引退を要請しました。開発者たちの日々の実践にはもはや役立たない、“業界”に乗っ取られてしまっているから、とおっしゃっていましたが、詳しく説明していただけますか?

正直に言えば、それはたぶん弱い言い方だと思う。元々の考えは、「アジャイル」と言う単語自体が壊れてしまったというものだ ―― 私たちがアジャイル宣言を作り出した時の意図をもはや意味していない。

私たちが矯正しようとしてもよかったのかもしれないが、私たちは個々人の疎結合な集まりでしかないので実際には無理だっただろう。したがって私が考えたのは、「もうこの単語は捨ててしまおう」だ。実際には、「アジャイル」という単語が名詞として使われるのはずっと不満だった。この単語は英語では副詞で、行動を修飾するものだ。そしてそれがアジャイル宣言の価値のすべてだったはずだ ―― 行動を起こすということが。

そこで、あのブログの投稿には、「アジャイル」という単語を使うのは止めて「敏捷性」に乗り換えようという提案を含めた。そっちの方が私たちが信じるところをよく表現しているからだ。

今にして思えば、もしやりなおせるならあの段落は記事に含めないだろう。あれは本当に伝えたかったことから注意をそらしてしまうから。

InfoQ: パネルディスカッションの導入部で、あなたは技術系の人々に対して訴えていました。開発者たちや手を動かす人たちにとって役立つことにもう一度目を向けよう、と。実践者にとって有益であることから逸れてしまったこの業界についてどうお考えですか?

2000年代の前半には、「アジャイル」とラベル付けされたプラクティス群は個々の開発者たちや小さなチームの中で使われていた。多くの場合、そういったチームや彼らのプラクティスは目立つことがなかった。しかしいくつかの企業は目をつけ始めた。特に、数々の小さなスタートアップ企業たちが、そのプラクティス群を使うことで何億円規模ものIPOに繋がったと言い出したころから。

次第に「アジャイル」の社会的地位は高まっていった。そしてそうなることで、より大きな企業が参加したがるようになった。素晴らしいことだとは思うが、しかし彼らが何をやっているのかは不明確なことが多かった。経営者たちは「アジャイルへと変革しよう」というお触れを出した。その結果、血に群がる鮫のように、コンサルタント連中やコンサルティング企業連中がうろつき始めた。

連中がくれたアドバイスは経営層にとってわかりやすいように設計されていた。連中は山ほどの報告書や山ほどの会議を盛り込み、開発者たちのことを指して“人間”ではなく“リソース”と発言した。連中は顧客のプロセスを多少なりとも改善したのかもしれないが、私が思うにその改善はプロセスによるものと同じくらいホーソン効果によるものだったのではないだろうか。長い目で見れば、そのようなプロセスの有効性は低下していくものだ。

しかし実際には、アジャイル宣言における価値を具体化するプロセスとは、個々の開発者のレベルから始めるものだ。すごく古くさくて硬直した会社で働いていたとしても、それでもなお日々の生活でその価値を実践していくこともできる。そうすればその人もその会社も両者が利益を得られるだろう。

おそらく、大勢の人々が価値を測定したいと思っているのではないだろうか。価値をどのように解釈しているのか、そしてプラクティスをどのように実践しているのか、寄り集まって議論しなさい。その時点であなたたちはチームだ。

そしておそらく、あくまで可能性ではあるが、複数のチームが寄り集まって、自分たちのプラクティスについて話し合い、さらに広く通用する何かを見つけることだってできるだろう。そうすればそれは「アジャイルな」組織と言えるのではないだろうか。

敏捷性とは上から無理強いできるものではない。良いアジャイルなプラクティスというものは、それを実践している人々によって見つけられなければならないというだけの話だ ―― 無理強いは不可能だ。

よって私は敏捷性を採用するように提唱している。本来の効果的な形へと立ち戻るために。敏捷性はコーディングの現場で仕事をしている人々から始まり、その会社全体にわたって有機的に成長していく。

これがうまくいくには、関心をもった開発者たちが必要だ。さらに重要なことは、勇気を持った開発者が必要だ。なぜなら彼ら(と彼らの価値)は多くの抵抗にぶつかるだろうからだ。正しいことをすることは、これまでも常に危険なプラクティスだった。

InfoQ: デンマークでのあなたのプレゼンテーションをとても簡潔に要約すれば、基本に立ち戻ろうということになるでしょうか ―― まずはあなたのブログをまだ読んでない人のために、あなたの提案について説明していただけますか?そして次に、アジャイルの本質的核心を再検討することが重要と考える理由について、詳しく説明していただけますか?アジャイル業界は“順調に成熟してきている”ように思える人もいるこの頃ではありますが。

アジャイル宣言の価値を振り返ろう:

  • プロセスやツールよりも個人と対話
  • 包括的なドキュメントよりも動くソフトウェア
  • 契約交渉よりも顧客との協調
  • そして、計画に従うことよりも変化への対応

これはつまりフィードバックのことだ ―― 対話も、(必要なものなのかどうかを見ることができる)動くソフトウェアも、協調も、変化への対応も ―― すべてはフィードバックループだ。それが「メタプラクティス」集合の土台となっている事を認識しよう。

  • 今どこにいるかを知ろう
  • ゴールへ向かって小さな一歩を踏み出そう
  • そこで学んだことを踏まえて、自分の理解を修正しよう
  • 繰り返そう

フィードバックループとは単にこのことだ。これが有効なのは実際のプラクティスを含んでいないからだ。その代わりに、開発者である人たちはそれぞれのステップが自分自身の状況にどのように当てはまるのかを考え出さなければならない。そしてそれで充分だと思い込まずに、自分自身の状況が実際にはどういうものなのかを見つけ出さなければならない。もしかしたら関数のネーミングのような単純なものかもしれないし、新規事業の計画のように複雑なものなのかもしれない。しかし、これら4つのステップが存在することを認識することと、そして、どんなことをやるにしろ、その最前線においてこのステップを回す方法を立ち上げること ―― 敏捷性について知っておくべきことはそれだけだ。

付け加えると ―― 現実の人生では「何かをやるための最良の方法」が明白なことはあまりない。よって追加のプラクティスが1つだけある:

  • 2つ以上の代替手段が見つかって、どちらもおおよそ同じ価値をもたらすとするなら、未来の変革がより楽な道を選ぼう。

私たちが矯正するのは以上のことだ。頭字語も、コンサルタント連中も、複雑な図表も、カンファレンスも、そういったことは不要だ。私たちは、1枚のインデックスカードに書けるだけのアイディアと、それを絶え間なく適用していく勇気だけを持っていればよい。

アジャイル宣言の本質的核心を再検討するのがなぜ重要なのか詳しく説明して欲しいというご要望について言えば、その質問自体が答えとなっている部分もある。“アジャイル業界は順調に成熟してきている”とはどういう意味だろうか?まず最初の意味は、「アジャイル」と呼ばれる何かの標準化とコモディティ化だ。しかし、価値の集合を画一化して製品化することなど本当にできるのだろうか?価値の本質とは、それらがコンパスであって地図ではないと言うことだ。価値とは、進歩する道筋を決める手助けにはなるが、どこにいてどこを目指すかを知るのは一度だけで、それを規定してしまうことはできない。

この記事に星をつける

おすすめ度
スタイル

BT