筆者は、2008/8/4~8にカナダのトロントで開催された、アジャイルソフトウェア開発についての、年に一度の国際会議である Agile2008に初めて参加してきました。今年の日本からの参加者の数は14名にも及び、発表者は5名、受け持ったセッションは8つに及び、例年にない活躍を見せました。なぜ今年のAgile2008では、これほど多くの日本人が参加し発表に至ったのか? 本稿ではそこに至る経緯及び現地での日本チームの活躍、そしてその結果何が起きたか、を中心にしたレポートをお届けします。
まず最初に、今回の目標となったAgileカンファレンスについて触れておきます。このカンファレンスは、2001年から毎年開催されている XP/Agile Universe (現在はXP200X)から分岐する形で、2003年にソルトレイクで開催された Agile Development Conference 2003 (ADC2003) が起源のアジャイル開発についての国際会議です。2003年のカンファレンスには、日本からは、永和システムマネジメントの平鍋氏をはじめとする数名の方が参加され 、国内にその情報を広めてくれました。
翌2004年に開催された Agile2004 にも前年に引き続き平鍋氏と、TISの倉貫氏、中井氏が参加しました。 その時に倉貫・平鍋両氏が 「XP "Anti-Practices" : anti-patterns for XP practices」(邦題XPアンチプラクティス) を発表し、ベストプレゼンテーション賞を受賞しました。この発表が日本人のAgileカンファレンスにおける最初の発表となりました。その後のAgile2005, 2006については、日本国内からの参加の記録はないようです。
そして昨年のAgile2007 になって、チェンジビジョンの平鍋氏、アークウェイの中西氏、黒石氏が日本から参加しました。平鍋氏はリーンソフトウェア開発 の著者であるMary Poppendieckとの共催で、トヨタ生産方式の改善に関するワークショップを行いました 。このワークショップはトヨタ生産方式というホットな内容と、マインドマップを使った新しい手法だったこともあり非常に人気があったそうです。
そして今年、2008/08/04~08/08まで開催されたAgile2008 は過去最大規模になりました。参加者は1600人以上、開催されたセッション数は400以上にも及びます。同年に開催されたJavaOne2008と比較すると、参加者は1万人を越えるJavaOneと規模は比較になりませんが、開催されるセッション数はほぼ同数の約400セッション です。つまり単純計算すると、参加者は1/10でも、参加者に占める発表者の割合はJavaOne2008の10倍である、ということになります。これはAgile2008が、実践者のための発表の場であるコミュニティ色が強いかという証拠と言えます。
Agileカンファレンスでは、自分の発表の提案(サブミッションと呼ぶ)を主催側に提出し、選考を経て発表者として登壇できます。2007年まで は、サブミッションをドキュメントとして提出して選考していたのですが、今年2008年から、サブミッション投稿サイトが用意されて、発表希望者はそこに ユーザー登録し、そこで自分のサブミッションを投稿できるようになりました。 更には選考するレビューワーだけでなく、サイトにユーザー登録した世界中のエンジニアのレビューを受けることができます。このシステムのおかげでAgileカンファレンスへのサブミッション提出とレビューが飛躍的に活発になりました。
今回のAgile2008では Expanding Agile Horizons をテーマとしています。このフレーズはアジャイルの有効性を問うというステージを終えて、どのようにアジャイルを広げていくかというステージに立っている、ここ数年の傾向の延長線上にあることがわかります。
主催者側は、参加者の増加に対応するために、音楽祭のメタファーを使って、目的別に細かくステージが分かれるようにセッションが配置しました。その結果、全部で19のステージにわかれて参加者は自分の興味のあるステージに絞って膨大なセッションを効率よく探索できるようになりました。
さて、今年のAgile2008では、日本から14名の参加者が参加し、筆者を含めた5人が、8つのセッションで発表したという点にあります。そし て参加者のほとんどが海外カンファレンスに初参加で、かつ事前に日本でチームを結成して準備をした後にカンファレンスに参加したのです。ここに至る経緯を簡単に説明することにしましょう。
これまでAgileに関するカンファレンスへの参加は、一部のデベロッパーの方の個別参加が中心で、グループで行くという動きは筆者は聞いたことがありません。実は2003年のADC2003において、参加者のツアー企画 がコミュニティのメーリングリストに投稿されたことがあります。 しかし結局このツアーは参加者が最小施行人数に足りずに中止になったと聞いています。それ以降も、ツアーの話はいくつかあったようですが、大々的にまとまっていくようなことはなかったようです。筆者としても、自らカンファレンスに参加して情報を収集するとは、費用や英語力の問題もあって、それほど真剣に考えたことがありませんでした。
そんな中、筆者は業務で昨年2007年9月にボストンで開催された Software Developers Best Practice(SDBP) 2007 にブースを出展することになりました。実際にボストンに行ってみて気づいたのは、世界中から様々な国の人が集まり、情報収集や、意見交換をしている場であるということでした。製品の説明を聞いていると、いつのまにか見学者同士で議論を始めてしまう、こんなアグレッシブな人が多数いました。このような意識の高い人達が集っていることに感動するとともに、その場に日本人がなんと少ないのだろうとショックを受けました。この時から、筆者はもっと日本人が海外にでて、同じ舞台に立って議論すべきではないかと考えるようになりました。
それに加えて、以前から考えていたことがあります。それは現在のアジャイル開発の潮流である、Scrum、リーン開発の源流はすべて日本にあり、それをアメリカから逆輸入しているということです。筆者は2003年に、「アジャイルソフトウェア開発スクラム」 の翻訳に参加しました。 その時にScrumの源流が、竹内弘高、野中郁次郎両氏の論文「The New New Product Development Game」 の中で使用しているラグビーのスクラムのメタファから来ていることを知り驚きました。そして実はScrumはトヨタ生産方式の影響も受けているということを昨年知りました。 そして昨今のアジャイル開発のムーブメントになっているリーン開発も、源流はトヨタ生産方式にあります。このような状況は、日本の製造業でつちかわれた知恵が評価されたことを喜ぶと共に、逆輸入している現状を苦々しく感じていました。
そういった背景もあり、日本人はもっと海外に向けて自分のアイディアを発表すべきではないか、という意見を強く持ちはじめました。 ( 、 )
とはいえ、よくあることですが、最初の勢いがある時はよくても、その後にトーンダウンしてしまうというパターンに筆者も陥いりそうになりました。毎 年夏頃に開催されるAgile2008をターゲットにしていたものの、半年以上も先ということもあり特に準備をすることもなく、たまにコミュニティの知人に「Agile2008に行かない?」と誘う程度でした。しかし2008年1月に急展開を迎えます。同じくAgile2008に行って発表しよう、という同志に出会ったのです。その場で、人を募ってチームでAgile2008に参加しよう、という話になりました。そこから急ピッチで物事が進行しました。
1月中に決起ミーティングを開催し、MLの立ち上げ、サイトでの告知 を行いました。チームには最初名前がありませんでした。しかし決起ミーティングの最中に、何となしに「英語が堪能なやっとむ(安井氏の愛称)が5人いればいいのになぁ」「ああ、それ5やっとむだねぇ」という会話の流れで、メーリングリストの名前が「agile2008_goyattom」と名付けられまし た。以降、この日本チームのことを「goyattom(ごやっとむ)」と呼ぶようになったのです。チームのWikiを立ち上げて、参加を募りました。
一ヶ月もたたない2月末にはサブミッション申込の締切が迫っていました。その締切直前に、たて続けにチームのメンバーはサブミッションを投稿し、 やっと一息かついたかと思うと、実はそうではありませんでした。投稿したサブミッションは、その後もレビューワーのフィードバックを受けて、内容を改善していくという予測していなかった作業があったのです。連日投稿サイトを除いて、フィードバックを確認し対応する日々が続きました。レビューワーの厳しくも的確なフィードバックが、サブミッションの内容をより良いものにしていくのが実感できました。
そして5月初頭にサブミッションに対する合否連絡がありました。日本人が出したサブミッション は全部で十数点、通過した数はそのうち7つでした。筆者も4つのサブミッションを提出しましたが通過したのは1つでした。サブミッションサイトに登録され たすべてのサブミッション数は5000以上、その中の400と考えても1/10以下の確率になります。殆どのメンバーがはじめてのサブミッション提出だっ たのは当然なのですが、実は過去2度発表をしている平鍋氏も自分自身では初めてのサブミッション提出だったことを知りとても驚きました。すべてが初めてのことばかりだったのです。
サブミッションの合否が決った後は、各人が本当に参加するのか、発表するのかという決断を迫られました。メンバーの中には敢えて行かないという決断をした人もいますし、ぎりぎりまで会社と交渉をした人、すべて自費で行くことを決意した人など様々でした。サブミッションの合否が決まってから、しばらくは中だるみの時期もありましたが、カンファレンスプログラムが発表になると、400もの膨大なセッションを目の前にしてチーム全員で愕然としました。そん な中でも自分のお勧めのセッションを翻訳して他のメンバーに紹介したりする活動も行いつつ、発表者は直前まで資料作りや英語のプレゼンテーションの練習などを行い、ついに出発の日を迎えたのです。
著者について
(株)チェンジビジョン所属。
フリーランスエンジニア、教育、コンサルタントを経て、プロジェクトの見える化ツールTRICHORDの開発に携わる。Agileとの出会いは2000年からで、eXtremeProgrammingとRubyが引きあわせてくれた。現在の興味対象は、持続可能な社会に本当に必要なシステム、ソフトウェアを、Agileでどう作りあげるかという点。
個人の日記は http://giantech.jp/blog/