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"アジャイルチームリード"は必要か

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原文(投稿日:2009/12/02)へのリンク

Patrick Wilson-Welsh氏、Chris Beale氏、Gary Baker氏、John Huston氏、Daryl Kulak氏などがが新しい役割の概念を広めようとしている。その概念は、"アジャイルチームリード"というものだ。目的は、agileチームやその周辺にある従来のリーダーシップの概念を置き換えるためだ。

Wilson-Welshが言うには:

私たちは今、アジャイルチームの古いマネジメントと責務のラベルを慎重にはがしているところです。古いマネジメントというのは例えば、Scrumマスターやプロジェクトマネージャで、誰もが根本的にはうまく機能していないと考え始めています。このトピックの周辺にはたくさんの議論があり、それらの議論はどれもエンタープライズ分野における利害関係と完全に符合します。私たちが現在行っている、アジャイルチームのマネジメントやプロジェクトマネジメント、プロダクトオーナーシップ、プロセス改善マネジメントはチーズよりも穴だらけなのです。
...
好きか嫌いかは別として、アジャイルのリーダーシップについてはパラダイムシフトが必要です。リーダーシップという概念をもっと整理し、もっと焦点を絞って輪郭をくっきりさせ、チーム内部の要請と外部のステークホルダーの求めるものを直接的に結びつけるようにする必要があります。私たちに必要なのは、アジャイルチームの権限と責任の範囲と同じ程度の範囲に収まる事案に対して説明責任を持つのひとりの人物なのです。

彼らが描く人物が"アジャイルチームリード"だ。Wilson-Welsh氏は続けて、この役割に期待されることについての大まかな草案を示している。この草案(草案自体がすでに既に要約されているのだが)を要約すると、次の5種類の責務が書かれているのがわかる。

  • 継続的なリーダーシップ
    組織の目的の中にチームを位置づけられること。単一のリーダシップ(チームに対して)と単一の説明責任(利害関係者に対して)を持つこと。チームのメンバが中に入って仕事ができるような"安全な入れ物"を作ること。チームと利害関係者との間に信頼と尊敬を醸成させること。継続的にチームの結束を高めること。
  • 継続的な計画
    チームが自分で設定した目標を達成できる能力を磨き続けること。すべてのことを"大きく、見やすく"し、メトリクスで管理すること。"計画を憎まれ役"にすること(チームのメンバに対して)。"需要と供給に応じて計画を変更できる"ようにしておくこと。
  • 継続的な実行
    "チームの速さとスループットを監視し管理する"こと。リソースを安定的に確保すること。障害物を減らしたり、増やしたりすること。究極的には、"チームの流れや勢い、焦点を維持する"こと。
  • 継続的なリスク低減
    リスクを特定し、"その潜在的な影響度を最適な人にはっきりと伝える"こと。リスクを少なくすること。リスク管理マネジメントの有効性を定量化すること。
  • 継続的な改善(アジャイルコーチング)
    "完了の定義(Definition of Done)をすべて改善する"ことを推進すること。チームのパフォーマンスの破綻に対して常に注意を払い気を使うこと。正しい分野でチームの改善を促進すること。チーム自体が外部で話題に上がっているプラクティスを学ぶことを支援すること。

そして、この草案にすぐさまフィードバックが加えられた。Abby Fichtner氏 ("The Hacker Chick"として知られている)とJohn McFadyen氏はWilson-Welsh氏の考えをサポートしつつ、"アジャイルチームリード"の役割と"Scrumマスター"の役割にはどんな違いがあるのかという点について質問している。また、Abby Fichtner氏はさらに続けて、上述の責務の陰に見え隠れする"失敗する自由"によって、どうして自分がAgile 2009でのJared Spool氏のキーノートを起こしたか、コメントしている。このキーノートでは"広く成功している"多くのプロジェクトに共通する3つの性格が説明された。

一方、Tobias Mayer氏は反対の意見を表明している。この考えでは、これらの責務は一部の人だけが担うものになってしまうからだ。氏の考えでは、Wilson-Welsh氏が述べた資質は"チームのすべてのメンバが"現実化しなければならない。氏によれば、

チームをリードする“役割”を新たに作りだすと、昔の命令と制御の体系による管理にあっという間に舞い戻ってしまうと思います。また、この新しい役割は言い訳に過ぎないとも思えます。つまり、リーダーシップに満ちたチームを作り上げるという本当に困難なことに直面するのを避ける逃げ道に思えるのです。

あなたはどう思うだろうか。このような役割の定義は役に立つだろうか。役に立つなら、この草案を改善するにはどうしたらいいだろう。役に立たないのなら、これは単なる余計な考えで、徹底的に愚かな発想(Mayer氏が言うように)なのだろうか。

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