2011 年 6 月 11 日,TOC (Theory of Constraints,制約理論) の提唱者である Eli Goldratt 博士が亡くなった。博士の最初の,そして最も有名な著書が,TOC を定義した "ザ・ゴール (The Goal)" だ。博士の遺したものは,我々が日々実践する技術において具体化されたそのアイデアを通じて,間接的な影響をアジャイルに与え続けるだろう。
博士は物理学者として教育を受けたのだが,自身はとても穏やかで,人間味にあふれた人物だった。以下の引用からもそれが分かる。
私は微笑み,指を折って数え始めました - ひとつ,人々は優れている。ふたつ,すべての対立は取り除くことができる。三つ,すべての状況は,最初どれほど複雑に見えたとしても,実は非常に単純である。四つ,すべての状況は大きく改善することができる,空でさえその限界ではない。五つ,人は誰でも充実した人生に到達できる。六つ,Win-Win のソリューションは常に存在する。もっと数えましょうか?
David J. Anderson 氏は 博士の死に寄せた 記事で,博士の思慮深いリーダーシップに対する率直な気持ちを語っている。氏は博士を,労働者の犠牲を必要としないビジネスパフォーマンス改善を信じた,新しいタイプの資本主義者だったと考えている。
私は Eli Goldratt 博士に,温かで愛情深く,親切で,誠実で,信頼と尊敬に値する人である,という印象を持っています。そのような人物が偶然にも,ビジネスの効率化に情熱を持って共に働く人々に対して,深い関心を持つに至ったのだと思います。労働者の犠牲の上に達成される改善というものを,博士は決して認めませんでした。非常に社会的な資本主義者であった,という見方もできるでしょう。この点において博士のリーダーシップは規範とすべきものであり,その先見性と先駆性は将来的に再認識されると信じています。
この同じ記事 で氏は,博士の業績と,氏自身が TOCICO (Theory of Constraints International Certification Organization,制約理論国際認定機関) で行われた発表に出席した経験について語っている。この時の発表が,ソフトウェア開発で現在かんばんと呼ばれているものに影響を与えている,と氏は言う。
私は翌年,かつて DBR の実践者として XIT ケーススタディの発表を行った TOCICO に再び招かれました。これが現在,私たちが (ソフトウェア開発において) かんばんと呼んでいるものの基本であり,その時の経験が直接,私の最初の著書へと発展しました。博士の提唱する "5フォーカシングステップ" と,TOC の内面を変えるインクリメンタルな漸進的アプローチが私に影響を与えたのです。
Robin Dymond 氏も 博士の死後間もなく,博士について記事を書いている。その中で氏は,TOC がリーンとアジャイルとを補完する思考ツールとなっている,と説明している。
従来型の管理方式から Scrum や XP への移行を成し遂げたソフトウェア開発マネージャとして,私は TOC が作業システムを解析するための新たな思考ツールのセットを提供している,という考えに至りました。これらのツールはリーンとアジャイルを,それらの価値を制約したり,アイデアに干渉したりすることなく補完します。例えば リーンツールを使って発見されたプロセスの変更や,チームが Scrum を適用して発見した障害に対して,TOC は優先度を付けるための手段になります。しかし最大の変化は,TOC によって私の考え方が変わったことです。TOC はシステムやソフトウェア開発,そして作業一般に関する私の視点を一変させたのです。リーン思考のときと同じように,TOC はシステムに対する私の意識に影響して,システムの自然な性質へのより深い洞察を与えてくれます。
TOC がアジャイルに与えた影響の一例として,博士の考案した TOC の金融測定システムの TA (Throughput Accounting,スループット会計) がある。TOC-Lean Institute (TOC リーン研究所) の解説にもあるように,TA は製造業の世界で,有効性と効率性,在庫の危険性について多くの企業を啓発し続けてきた。
部分効率 (local efficiencies) が何より重要である – 従来の原価計算のこのような考え方は,過剰生産と過剰在庫に至るだけで,– スループット会計 (Throughput Accounting) が明らかにするように – ビジネス資金を生み出しはしません。製品には製造にも在庫にもコストが必要であり,大切なキャッシュフローを滞らせるからです。
博士の業績をさらに知りたいと願い,その方法を探すアジャイルコミュニティの人々のために,英国のアジャイルコーチ兼 XP プログラマである Kevin Rutherford 氏が 博士の著書に関する推奨リスト を公開している。
Eli Goldratt 氏には多くの著書があります。中でも際立った次の4冊は,私の仕事を (おそらくは人生も) 実り多いものにしてくれました。
- The Goal (ザ・ゴール) – 経営不振の工場を3か月間で救わなければならなくなった男の物語です。本書はすべての始まりであり,ここで示されたアイデアは,多くの分野で多くの状況に適用されています。私はいつでもこの本を,私の選ぶ上位5冊に含めるようにしています。
- It's Not Luck (ザ・ゴール2) – もうひとつの小説で,ザ・ゴールの続編になります。思考ツールの基礎入門書として,多様なビジネス上の問題解析においてツールを利用する方法を紹介しています。
- The Choice (ザ・チョイス) – 前述したようなマニフェストです。本書での Goldratt 博士は演説台に立って,幸福のためのマニフェストを論理的かつ明確な思考のもとに提唱しています。博士のこのような大きな方針転換には賛成できませんが,メッセージの内容は概して正しく,力強く,そして勇気づけられるものです。
- The Race – TOC の使用手順を学ぶためのワークブックです。幸いにも微分方程式などは含まれていませんが,しかし本書は臆病な人のためのものではありません。私自身はザ・ゴールの内容を理解して,そのアイデアを多くの組織に適用してきましたが,それでも本書にはある意味で新たな驚きを覚えました。